恐怖は生まれる。生まれなかったら、人間ではない。
不安や恐怖がなかったら、目の前で噴火がおきていても逃げないであろう。
ただ問題なのは、心配しなくても良いことまで「不安」と「恐怖」を刷り込まされていることである。
これを最も「恐れた方がいい」
こんな経験をしたことはないだろうか。
「見た目がすごく怖くてちょっと怖いな」と思ってた人が、笑顔になり喋ると優しくて頼りがいがある。
それは、あなたが「不安」と「恐怖」をつくりやすい先入観があるからだ。
そういう人は「口は顔よりも物をいうこと」を理解すると本当にあなたを騙しにきて陥れようとしている人の選別ができるようになる。
話を戻すのだが、テレビ・映画・メディア・親や先生・教育で様々な恐怖が散りばめられている。
私の場合は、学校の先生である。
「因数分解や古典の点数が悪いだけで、できないと困るぞ!」と言われ、脅してくるのである。嘲笑うかのようにできないことを馬鹿にしてくる。
小さい頃から人の感情の「氣」を感じられる私は、その先生が思っていることを感じ取れた。
(誰もが持っている子供を見ると和むとか・人が笑うと安心するとかそのようなもの)
そんな先生に負けずと勉強をせず、授業中女の人と話して氣が明るくなることばかりした。いわゆる世間一般でいう問題児だったのだが、楽しく話すことに対する罪悪感がわからなかった。素直でいい子だったと自分では思っている。笑
思い方は、自由である。
しかし、長い間その教育に馴染されると、徐々にみんな同じような人間が出来上がって「恐怖」と「不安」が出来上がってくる。仕方ないので、授業中喋ることは諦めて授業中静かに友達とゲームをするということを覚えた。
だけど、受験や社会人になる面接などで人と競い合わされていく内に、人と違うことに対する「恐怖」が生まれたのだ。
そうするとよりよい大手企業を目指して年収やホワイト企業、福利厚生と安心感を求めるようになっていった。
しかし、未来に足しての何かわからない「恐怖」はぬぐい去ることはできなかった。
なにかできなと「価値がない」と思うようになり一応世間一般で役に立つとされる資格を取ってみたりしたが、「恐怖」は付き纏っていた。
その時にも私の氣を読み取る能力は健全に発揮されていた。会議中とかに本音で話せない大人たちの顔によるシワほど「恐ろしいもの」はない。そう思ってしまったのである。
そして「恐怖」について向き合うことにしてみた。
「恐怖」と聞かれてあなたは、どのようなものだと答えますか?
「お金がなくなるのではないか」
「人間関係が崩れるのではないか」
「日本やばいんじゃないか」
要するに心配しなくてもいいことまで心配して「恐怖」を自分で作っていたのである。いまでは打って変わって「恐怖」があったおかげでこうやっていつも尊く生きてられると「恐怖」に感謝までできるようになったのである。
では、その「恐怖」と向き合えばいいとわかったことだろうが、どうやってやっていけばいいのかがわからないであろう。
今回は大サービスで思いつく限り書いてみる。
「今」起きていないこと以外は「恐怖」ではない。
例えば、とっさにボールが飛んできて避けますよね。それは、脳が当たったら痛い「恐怖」だよけろ。それで終わりであります。
意味がわからないですか?ようするに「あ〜怖かった」と思って後までも怖かったことに対して意識が向いているのがあなたたちの状態です。
先生に怒られて、怒られたことをいつまでも考えているのが「恐怖」をつくっているのです。
なので「今」おきた恐怖以外は、恐怖でないのです。
本当は思考が変われば、今の「恐怖」も直感であらかじめ避けれるようになります。理由は恐怖を必要としない人間には与えないからです。これは、また後日話します。
とはいっても恐怖について考えちゃうのと「自分を責めてはいけないよ」
また、「恐怖を考えてた」と氣がついた時に楽しいことを考えるようにすればいい。そうやって少しずつ考え方をかえていくだけで恐怖は氣がつけば、自分にとっての防衛本能であり、大切なものでありがたいものになります。
シェイクスピアが良い表現をしています。
「暗闇はなく、無知があるのみ 」
ウイリアム・シェイクスピア「十二夜」より
恐怖についてよく考えないから、恐怖があるのです。
先生ってそういうことを教えてくるはずではないのでしょうか?
人類して共通の疑問
生きる意味とか、人を好きなる理由とか、教えてくれるところのはずが、社会になって使う人は∮(integral)を使う人は、ナンパセーンといるのだるか?
インテグラルを使う人も人を好きになったり綺麗なおねーちゃんに興味はあるであろう。
現代の恐怖のほとんどが「利権」や「支配欲」というエゴによる産物である。
その先生もその産物の餌食になっているのである。
「恐怖」はただ氣の一部であるので全部から見た時にありがたいとなる。
これは誰でも同じ方程式である。
少しでも、私もあなたも役に立ててばと思い書いております。
今日も有難う御座います。
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