イムからのメッセージ
本日は、今に生きる方法についてです。
いつも有難う御座います。
こちらこそ有難う御座います。
「今」を生きるというけど、「今」に生きることをしている人は、意外と少ないわ。
氣が散乱しているの。「トイレに行きたい」と考えていたけど、何かやっているうちに忘れている。それが、「今」に生きることよ。「今」は、集中していることよ。「トイレに行くな」と言うわけじゃなくて物事に集中している時は他のことに目が向いていないことなのよ。
ただ、物事に集中していることがあなたに本当に必要なことなのかを見極めることね。その一瞬は「今」に集中できるけど、必要のないことまでに神経を使うのが、現代人のあなたたちよ。
例えば、病気で体がよくないとするわね。病気に集中している状態が続くの。だから、病気ではなく生きることに集中するようにすれば、病気は治るのよ。
わかるかしら?
2つのことを考えることは人はできないの。
どれを選択して集中するかが大切。「よく集中力がない」と言うけど、雑音であったり、匂いであったり、今日の晩飯だったり、違うところに目を向けてしまう癖があるの。
文章から目が溢れるのも同じよ。氣が散乱しているの。
少しずつわかってきたかしら「今」を生きるのは、目の前に集中することよ。聖徳太子が「10人の話を同時に聞けた」と言うけど、「同時に10人の会話を話せ」といったらできないのと同じよ。その時集中してきいて、あとで一つずつ話すの。地の声って言うのだけど、自然の音に目を向けてみて鳥の音、川のせせらぎ、車の走る音、パソコンの冷却ファンが鳴る音、風で草木が擦れ合う音、コオロギや鈴虫が奏でる音などを後で一つずつ引き出しから服を一枚ずつ取り出すように会話をするの。
集中力が高まると時間の感覚がなくなるわ。遅くもなるし、早くもなる。
今を生きることは、集中を一つに持っていくことよ。病気、不安、恐怖、心配も一瞬でなくなるわ。
死については、死んでから考えればいいの。生きているうちは生きることに集中してね。
有難う御座います。
自己解釈
今日のメッセージは、お腹が痛くてトイレに行きたい時に届いた。
「痛い」に氣を向けると余計痛くなるから、「息に集中すると氣が紛れる」といっていた。
そのおかげで無事にトイレに行き着いた。漏れずに済んだ。
「息が短い」は、そうやってできたのだろう。息が短くなると過呼吸や病気になりやすい。
反対に「息が長い」は長寿の意味を持つ。昔の人は、氣をよく理解し、言葉にしていたのだろう。
私の文章もそうだが、誤字脱字が多い。その時は、氣が散乱しているとのことだ。
「今」に集中することを理解したつもりでいて実行できていないところもある。
まだまだできることがあって嬉しい。改善し、改良ができる。そのためにメッセージをくれたように思うのでした。
生かしていただいて有難う御座います。
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