
イムからのメッセージ
いつも有難う御座います。
現代では多くの人が「無氣力」に感じるけど、なんのためにあるの?
こちらこそ有難う御座います。
無氣力についてね。
子供たちは、波動に素直だから現代の尊重なのよ。
大人や学校の先生から言われる
「〜しなさい」
「〜をするのが当然だ」
「なんで〜できないの」
その波動をキャッチして「行動をしない」ことを選択するようになる。
創造性は、欠如し自己防衛のために生きていくようになるわ。
大人たちもカリキュラムに縛れれて、窮屈さが前面に出てきてやり場のない重たい波動を抱え込み我慢しているのね。
その結果、どんどん「無氣力」な人が増えていってるのね。
そんなに悲観しなくてもいいわ。
必要だから起きているのよ。
「無氣力」でいるとどうなっていくか、学んでいるのね。
欲がないから「いい」と思うかもしれないけど、思いやりや人間の心も同時に欠如していくことになりわ。
物を造ろう自分たちでなんとかしよう。
そんな意欲が、沸かなくなるのね。
先祖が創って残してくれた衣食住だけでなく技術力も失われていくわ。
そして、災害やらなんやらが起きた時にようやく「氣」がつく無氣力からは何も生まれないのだとね。
完璧に見えていた大半の親や先生、大人たちも未熟で重たい波動で生きていたことをね。
そうやって、考えた時に「無氣力」も「有氣力」になる大切な感情の一つだとわかってこないかしら?
ここでも「無」と「有」を知ろうとしているのね。
「死(無)」と「生(有)」があるのと同じようにね。
あらかじめ、わかっている人たちはそのことを学ぶ必要がないから違う道を歩むようになるわ。
暖かい眼で見守る「慈愛」の母のようにね。
愛と光と忍耐で感が行動してね。
ありがとう
自己解釈
自分の小学生のころ、「行動しなさい」と親に言われました。
当時は、よくわからずに外に遊びに行ってました。
とても楽しく、こんなに「行動しているのに」私は思っていました。
大人になり親心で「勉強や将来役に立つスポーツ」などで「行動しなさい」と言ったいたのがわかるようになりました。
言ってくれることは「ありがたい」です。
しかし、「〜しなさい」は反対に行動ができなくなります。
その結果、私は高校生と3年生と大学1年生まで全く行動をしないようになりました。
そして、心のバランスが崩れ「肺炎」になりました。
今振り返ると、一つの自己防衛だったように思います。
何かをすることを恐れるようになり「無氣力」になったのです。
これは、現代の社会に顕著に言えることでしょう。
街中の電車の中や通学をみると高校生や中学生で「死んだ魚」の目をしている人が多くいます。
「無氣力」になると物事は全くうまくいかず記憶力も低下し脳が働きません。
創造を遮ることになります。
このことを伝えるために学生時代の「無氣力」があったように思います。
そうやって考えると無駄なことがなく、とても大切な体験だったように思います。
そんな今日のメッセージでした。
最後まで読んでいただき有難う御座います。

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