【毎日のメッセージ(143)】「ほっこりする心と握りしめられる心」のはなし

イムからのメッセージ

いつも有難う御座います。

こちらこそ有難う御座います。

心の観測は、深く深く根が深いものよ。

何かをやること全てに心を観測すると時間ばかりとるわね。

あなたが氣になったことだけ摘み取ればいいの。

心がちくちくするときやホッコリした心など揺れ動いていることに対して素直に見ていくといいわ。

何が、好きでなかったのか?

何が、嬉しいのか?

見ていくといいわ。

愛のない言葉を人から人に「ぐさぐさ」挿してあっているときが好きではないわね。

まるで殺し合いを繰り広げているように感じるのね

周りに聞いている人もグサグサ刺さっていくのね。

好きでないなら、まずは自分が刺されないように保護しておくのね。

鍛えれば、挿している剣が折れるわ。

そして、協力しあえるわ。

その場所で、もう勘弁してと思うのであれば自分の好きな場所を探し続けるのね。

自分のできることは行って、旅に出たら間違いなく大切な仲間たちと出会えるわ。

依存するわけではない「持ちつ、持たれつ」のその場のチームね。

反対に、ほっこりする時を思い描いてみて赤ちゃんと顔を合わせたら微笑んできたところや選択した道から思わぬ視点がでてきて心が揺さぶられるわね。

手を叩いてみたり、動作をつけるとさらに心が揺さぶられるわね。

そうすれば、他人にも配ることができるわ。

「配ろう、配ろう」としている人は出ている波動が違うから愛のある顔になるわ。

心を観測するときは、自分の「心の状態」と「配ること」を意識するといいわ。

自分の幸せが周りに広がっていくのよ。

配っていて、幸せじゃなくなったらそれは幸せを配っているのではないわ。

見返りを求めているのね。

そのときはまた1から「心」を観測して行動していくといいわ。

愛と光と忍耐で考え行動してね。

ありがとう

自己解釈

目には見えない心。
小さい頃、よく心が苦しいことがありました。

まるで、心臓を握られている感触です。きっと、保護ができず配り続けていたからでしょう。

小さい頃から、いつもニコニコしていた私は、高校生くらいから笑わなくなっていきました。

まるで、世界に光がなく絶望によって出来上がっているとさえ思い1日がとても長く感じ学校の授業がとてもつまらなかったことを覚えています。

今思うと、慢性的にかかっている社会全体の病氣に思います。

自分ができることは、笑顔で目の前にいる人に触れ、文章を通じほっこりする心を配ることです。

そんなふうに思いながら、毎日書いているのでした。

以上最後まで読んでいただき有難う御座います。

生かしていただいて有難う御座います。

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    ライターのプロフィール

    ブログ歴2年、脱力系アルティメットブロガーです。

    嫁に食わせてもらっていた専業主夫から這い上がり、ブログと農業で生計を立てています。

    ゆくゆくは、アシカ村を作っていき予定です。

    現在は、7つのブログを運営中。世界一のブロガー。

    この「イムからのメッセージ」では、主にハイヤーセルフとのメッセージとスピリチュアルをまとめています。

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