

文章を書くにあたり大きなどのようなことが多くの人に反響をうみますか? 私の文から新たな和で笑顔にしたいのです。

すべては、あなたを通じ、他人からの承認欲求になることを大前提に置いておこう。 あなたは、幸せを見つけることができるようになった。 その幸せは自分のものにしておくのでなく、多くの人と共感し分かち合い成長するため書きたいのであろう。 そのために、文章を書いて大きな反響を生み出したいのである。 しかし、他人はあくまで他人だ。 共感できる部分はあっても、同情させようとすれば、押しつけになる。執着になる。
それは他人のみたいレイヤと違う。 男としての自分を味わいときと、女としての自分を味わいときの違いのようなものだ。 肉体を通じ、人々は学んでいる。 必要のない人に無理に笑顔を求めて否定されて終わりだ。 そんなものは、幻でこの世に求めていけないもの。 あなたも一緒に苦しめばいいのよ。 苦しみから幸福が生まれる。 と、仮説して苦しみ続ける。 そんな人にいくら明るくなる文章を渡してもすぐさまにゴミ箱に捨ててしまう。 そんな相手かもしれないと許容するのだ。 そして、そんな人ばかりでなく読んで感動しました「ありがとう、私もやってみます」と、言った人にも出会える。 文章もイデアから生まれた「意思」で受け取り「思考」を使って具現化する産物だ。
つまり、無から有(イデア)の産物に触れ、あなたの意思を使って書けばいいのだ。 意思は、こころ・感情を使う。 芸術家が感受性が高いと言われる理由は、意思が敏感であるといえる。 ただ、イデアからなる感受性であるかは別の話だ。 地獄のようなものを感受性で受け取り「苦しみ」のループへ人を誘惑する。 そのループは、甘い蜜で砂糖やお酒、ギャンブルに酔わせ、墜落へ向かわせる。 甘い蜜の砂糖やお酒なしには、一部の人類は物事を考えられない。 中毒者が一般である。これが、現在の人類の水準なのだ。 その人たちに文章を書くときは、砂糖を入れ、アルコールを入れ、お金を入れ、苦労を入れ、少しずつ墜落でない方向性もあることを表現することが可能だ。 文章にも無限の可能性だ。 文章と呼ぶのはよそう。それは、文芸だ。 あなたから生まれた文芸だ。
ありがとう。

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