

スピリチュアルの瞑想・涅槃・輪廻転生などの情報は必要なのでしょうか? 私の中では、ノイズであるように感じるときがあります。 しかし、自分の求めている世界に生きたいときに、とても便利なツールになると考えています。

そうなのだ。見たい景色のノイズであるのだが、目的に向かうには便利なツールになるのだ。 伝え方や見方によって変わる。 涅槃というのは、体を脱して次の波動に移ることである。 それを、ブッダが入滅したときのことを涅槃と呼ぶようになった。 その理由は、視野が狭いときはわからないからだ。 波動として循環する。 すると、生も死もなくなる。 あなたたちは、肉体の死をつかって次の段階へ入る方法を選択している。 しかし、死は常に死んでいる。さらにいえば、死など無いのだ。 思春期で、胸が膨らみ、毛が生え、髭が生え変化を感じる。 いままでの自分が、いまを通し死んでいくことに直面する。 そこで、教育はのっぺりとした思春期としてしか教えない。 実は、このときは肉体的に生死を知る最高の機会だ。肉体を脱ぐとき以上に体験できる絶好の場である。 かつての自分の体だった自分はどこかへ死んでしまう。 しかし、また新たな形として生まれる。 実はこの連続をしているだけなのだ。 思考を有したときにかつての過去の自分が生まれ、いまの自分を知覚する。 ただいまを通じた、生死しかないのだ。それ以外はない。 すると、生まれとものもそもそも無いことがわかるだろう。 死というものもそもそも無いことも分かるだろう。 涅槃も、輪廻転生も、瞑想も、アカシックコードも無い。 宇宙人も無い。宇宙聖人も無い。人間も無い。 色もなければ、空も無い。 とはいうものの、いまがあるため、無いがわからない。 そこで、次なる有を求めて選択することが可能なのだ。 その有をしるために、スピや宇宙聖人の情報はツールになる。 ツールにはなるが、いま生きるための目的にはならない。 新たな有を、知るためのヒントみたいなものだ。 このチャネリングもツールであり目的ではない。 あなたたちは、時間と空間のある肉体を味わうためにほとんど記憶を忘れている。 少なからず、記憶はあるのだが、記憶がないと思う選択をしている。 無限に広がる記憶を繋いで有を知る。
ありがとう。

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