イムからのメッセージ
いつも有り難う御座います。
自己憐憫はどうして生まれるのでしょうか?
こちらこそ有り難う御座います。
自己憐憫は、他人からの評価を気にしすぎている。
または、他人から自分の存在価値を求めている状態ね。
その理由は、教育や社会システム、テレビ、SNSなどから大衆からの評価がないと生きていけないと思いこまされているからよ。
教育の読書感想文なんかいい例ね。
先生にとって都合の良い文章が、表彰される。
確かに綺麗な文かもしれないけど、心には響かない。
そうやって他人の顔色を伺っていくうちに他人からの成果と結果に囚われてしまうのね。
そのうち自分でも何をして、何を追いかけているのかわからなくなるのね。
成果や結果や賞が悪いわけではないわ。
貰えるものはもらってもいい。
けど、他人の評価ばかり気にすると自己憐憫に陥るわ。
そのうち今度は、他人を裁くようにもなっていく。
自分も評価されないのだから、他人を蹴落としてもいいと思っていくのね。
そうすると奪い合いが始まるわね。
まさに国同士の戦いも自己憐憫の塊だね。
中国は、こんなに大きいんだ。アメリカだって大きい。ロシアだって大きいんだから、、、
自己憐憫にたいする答えはシンプルよ。
他人の評価なんて、いっときの流行りみたいなものよ。
自分について、他人の意見は自分に関係ないのよ。
「自分が自分をどう思っているか」これが大切ね。
自分を自分で評価すればいいのよ。
「自分なんて、、、、」そんな声が聞こえるけど、そんなことないわ。
生きているだけで偉いわ。死んでいたらこの文章も読めないじゃない。笑
ただただ「寛大に、思慮深く、あなた自身によかったね」と感謝して
自分を自分でうめてあげてね。
そうすれば、他人からの評価に振り回されず、自己憐憫ではなく自己肯定ができるわ。
他人の評価は一つの指標程度に軽く考えていればいいわ。
「愛」と「光」と「忍耐」で考え答えを出していくのね。
生かしていただいて有り難う御座います。
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