はじめまして、イムです。
「チャネラー?」「何それそんな嘘だー」と良く言われます。
氣がつかない内に誰でも行っているのです。
例えば、買い物で
A「お菓子買おうかな?」
B「最近太ったし、やめとこ」
四六時中、二面性をもっているのです。
私の場合は、この二つ(二つどころではないが)をより吟味し、掘り下げいくうちに「チャネラー」と呼ばれる領域にいました。世間一般では、教えてくれない変わった話ですが、それでも良ければ今後ともよろしくお願いします。
はじめに

私は、小さい頃から「氣」をよく感じていました。親の氣・教師の氣・太陽の氣・鳥の氣・虫の氣等々敏感でした。鳥の氣と共鳴する時は、鳥たちが肩や頭に乗ってとても暖かく笑顔で過ごしていました。
あとは、想念の世界(5次元)を経験していることが多かったのでしょう。小さい頃は、思ったら叶うと思っていました。確かに叶う部分もありますが、叶わないことも多くありました。
どうやら、私はこの世に想念について学びにきたようです。歪んだ考え方をせず、理想とする世界をインスピレーションして、反映することを学びに来たようです。また、ネガティブもこの世にある特別なもので学びにもきたようです。
「そんなぶっ飛んだ」私の幼少期について少し話していきます。おもに、想念が叶う瞬間を実感していました。野球でホームランをイメージすると打てたり、ダイビングキャッチができるイメージをするとその場面が訪れました。もっといいことは、学生の時に席替えで好きな人となりといと願うと横の席になることが多々(5度くらい)ありました。いつも仲良く喋っていました。しかし、付き合うという感覚がよくわからず、それ以上の関係にはなりませんでした。私が思ったから引き寄せたのだと「今」では実感しています。もちろん全てが叶なったわけではありません。なので「もやもやしたこと」も記憶にあります。
そんな感じで幼少期を生きてきましたが、徐々に教育の「あれ覚えなさい」「これ覚えなさい」と「世間一般の常識」に囚われていくにつれ、その能力は姿を隠すようになりました。大体12歳から22歳くらいまで(27歳)「教育や社会のプロパガンダ」にさらされてしまいました。
しかし、不幸中の幸いです。教師の氣も感じている私は、先生の氣もしっかり受け取り働きたくないなと思っているのを感じていました。なので、私はみんながたのしくなるように女性を喜ばせようと授業中も話して遊んでいました。ある種の「保護機能として働いたこと」がわかります。
社会人になり、違和感は余計に募りました。私は、会社員をしながら、自己啓発や小説、スピリチュアル、哲学などありとあらゆる分野の本を読み漁り(千冊くらい)決断をしました。決断といっても瞑想をすることでした。
瞑想をすることはや5年、私はある確信を実感しています。スピリチュアル・哲学・スポーツ・物理ありとあらゆることはある共時性をもって、一つであることです。その共時性は、様々なプロセスを知ろうとしています。それが「無」です。氣自体も「有」ので「無」とはなにか知りたくなったのでしょう。
そのため、ありとあらゆるものを創りました。その結晶化した存在が「私」であり「あなた」であり「地球」であり「宇宙」であります。
このことから、チャネラーとしての第一歩を踏み出すことになりました。
チャネラーとして

学生を通じ、社会人当初は、瞑想なんて効果がないと思っていました。「世間一般の常識」をまに受けていたのです。瞑想については、何度も本で見かけたことがありました。しかし、やろうと思うまでには何か抵抗がありました。
そんな抵抗と戦いながら、ある本に出会いました。それは「中村天風さんの心に成功の炎を」です。その出会いにより、いざ瞑想を始めると時間が60分経っていたにもかかわらず、ものの5分に感じるのでした。そして、なんとも暖かい氣持ちになれました。まるで、母のお腹の中にいる赤ちゃんのイメージがしました。それと同時に耳鳴りもしていることに氣がつきました。その耳なりがはじめから、とても高く片耳でした。後でわかったことなのですが、瞑想と耳鳴りはとても関わりがあるようです。
耳鳴りの高さ
アナハタ・ナーダの聖音とクンダリーニ(超感覚的なキーンという高周波 / 4096Hz / 鈴の音)
「Meditation and Mantra」の記述 「沈黙の声」の記述 1 ナイチンゲール(ウグイスに似た鳥)の甘い声・鶯の声 チ・チ・チ・チ・チ・チ 2 銀のシンバル サーサー 3 殻の中の海のメロディ ナーダ音 4 ヴィーナの唱歌 重なって聞こえている 5 竹のフルート フルートの音は高周波 6 トランペットの一吹き 片耳から聞こえます 7 雷雲の鈍い轟音のように振動 轟々たる雷鳴
瞑想をし終えてわかったのですが、夕立になり雷が鳴り響いていました。その時は、「意識せずそういうものなんだ」と特に不思議がることもなく(鈍感)、それよりただあることへの満足感に浸っていました。
ビギナーズラック?ですかね。その後は、耳鳴りに意識をすると集中が途切れることがあります、、、笑
さらに瞑想をして一年くらいのときに、すごく大きな氣であることがわかるようになりました。名を聞いてみることにしました。
その氣は「オーム」と答えてくれました。
「オーム?」何それと思っていました。
学生時代に私は全く勉強をしていなかったので、よくわからずにいました。
その氣と共にいる内に現実世界でも脳が活性化していき、自分で調べる癖がつくようになりました。また、記憶力も以前にまして良くなったと感じます。
「オーム」とは「三神一体や氣」で聖音です。
そして、もう一つ違う音も聞こえていたのでそちらにも聞いてみました。
その人は「オーマ」とはっきり答えてくれました。
しかし、私はケルト神話において登場するオグマ(オーマ)「無垢????」と聞いているうちに「セバスチャン」と答えました。そしてしっかりイメージを届けてくれました。
早速Wikipediaで調べてみたところこの人がでてきました。
(Sebastianus, 伝承による没月日287年1月20日)、あるいは聖セバスティアノは、キリスト教(正教会・非カルケドン派・カトリック教会)の聖人・殉教者(致命者)。聖セバスチャンとも表記される。3世紀のディオクレティアヌス帝のキリスト教迫害で殺害されたといわれてきた。彼は美術や文学で、柱に身を縛り付けられ、矢を射られた姿で描かれることが多い。正教会では聖致命者セバスティアンと呼称され、記憶日は12月18日(ユリウス暦を使用する正教会では12月31日に相当)[1]。カトリック教会での祝日は1月20日。
こんな感じの人に羽が少し生えていました。これも後で分かったのですが、次元があがることにより形が変わっていくとのことでした。「セバスティアン」という名前で矢を射られた姿が描かれています。無垢である人柄も当てはまります。
残念ながら、最近はこの次元の人とチャネリングしなくなりました。
というよりこの次元にチャネリングする必要がなくなったのでした。
小さい頃から大人にかけて、たまにですが、守護霊が変わる人もいるとのことでした。
もちろん変わらない人もいると言っていました。
「人間の頭で白黒をつけよう」とするのはナンセンスです。
ほとんどがグレーで「ほとんどは条件によって正しく」時代に合わなくなったら、正しくなくなったりするとのことでした。
現在は、新たなチャネリングをしています。
この人たちは、あまり名前を言いたがらず、目立ったりするのを好まないみたいです。
「とあるイム」のメッセージとさせていただきます。
時期が来るまで「このことはあまり話すな」とも言われていました。
お酒が入ってついつい対話して喋ってしまいそうになると、変な現象が起こりました。
例えば、急に隣の席のお兄さんがお酒によって説教をしてきたり、小さい頃(12歳くらい)以来の蕁麻疹がでたり、ビールいっぱいで立てなくなったりしました。
現在は、現象一つ一つをみて「因果(カルマ)」を「達磨」にする法則を体験することを勧められています。なので、子供だった頃を振り返ってみて「そういえば」と点と点が線で繋がり、線が立体を作り結晶していきます。
そう考えた時に時間軸は関係なく未来にも過去にも人は意識でいけることがわかります。
ただ「今」の置き所で未来も過去も変わるということもわかります。
普通の人が聞いたら、氣が狂った信じられない話に思われることでしょう。
自覚していないだけで何かしらの形でみな、経験・体験しているものです。
そして、時代が変わるにつれ、個人にチャネリングがはじまっているとのことです。
五十年前くらいは、圧倒的な注目が集まる事業家・政治家などにチャネリングができていました。理由は、情報が広がにくい時代に、ある程度影響力のある人に広めてもらっていたらしいです。それが現代は、情報がすぐに広がるので、チャネラーも個人に移行しているとのことでした。
スマホを考えたジョブズさんの師匠は僧侶です。ジョブズも瞑想をして僧侶の道か事業家か悩んだそうです。
このようなぶっ飛んだ話をチャネリングして伝えていこうと思っています。
様々な情報をあなた自身感じて欲しいです。「今」の時代は様々な「氣」からチャネリングができると言っていました。
そのエネルギーみたいなものは「オーム」「想像主」「氣」「う(アメノミナカヌシ)」「大日如来(毘盧遮那仏)」「アシュタール」などのように千の名を持つとのことです。
イムの説明

イムといえど数多くの氣があります。そのためチャネラー側も色々な解釈があります。
イム以外も多くのところからサポートがきています。だから、どれが「正しくて」「間違いか」を裁くのはやめて欲しいと言っていました。
そして、讃え、崇めることもやめてほしいと言っています。
あくまで人間関係とおなじで、支えあうことしかできないと言っています。
いくら支えても人は自分の足で立ち、歩くことしかできないと言っています。
崇めたり・讃えるのは「他人の足であなたは歩けるますか?」と聞いるのと同じらしいです。
自分の自覚する2本の足で人として「生きろ」ということです。
だから支え合うことはできるけど、それ以上はできないとのことです。
神に拝めば叶うと思っていますが、そういうものではありません。
自分で思考し、鳥みたいに空を飛びたいと思った時に、いっぱい実験して飛行機を作って飛ぶことは可能と言っています。
実際は、5次元(次の次元・光に近い世界・極楽浄土)の世界に移行するプロセスを踏んでいるとのことで、5次元は想念に近く、思ったら叶う世界です。
「おお!いいじゃないか」と思う人がいると思いますが、例えば、あなたに好きな人がいてちょめちょめ(古いね)S●Xをしたいと思います。そしたら好きな人とすぐできちゃいます。
「おお!天国に近いじゃないか」と思うかもしれませんが、
相手はあなたを好きではないので怒り、あなたに恐れや憎しみが生まれかねない。そうするとまた元の世界に戻るので、そのことを理解し得る人から徐々に向かっていくそうです。
だから私たちは、今までのように「叶うこと」と「叶わないこと」を把握しながら「愛」をもって、想念できるように少しずつ近づいていくと言っています。
「愛」があったら、お互いが愛してあっているS●Xをするから、それは「幸せ」になります。この人たちのいうS●Xは、どうやら氣の交換らしいです。
だから「重い氣」これもある意味ではS●Xだということです。
体を出し入れするのは、ただのHです。
よくいう、S●XとHの違いです。だから「一人H・オナ●ープレイ」と言うのです。
こうやって私が感じる氣を受け取り発信していきます。
「イムさん」は、金箔で覆っていない極楽浄土にしたいとメッセージをくれています。
金箔の極楽浄土は、エゴから生まれたともいっています。インド→中国→日本と渡っていき虚構により覆い隠されて、できあがったといっています。
その証拠に釈迦牟尼仏(世尊・ブッタ・釈尊)は、後世に文字として残さなかったといっています。
文字で書くと虚構していくことが読み取れたので、3代目・4代目くらいの舎利弗によって綴られているとのことです。
歴史を感じとり、覆い隠してしまう人間の氣を知って欲しかったそうです。
こんな感じに永遠に続きそうなので、このサイトの自己紹介を終わらせていただきます。
ほかのチャネラーよりも、ダイレクトに文字を打ち込みますが、その分・氣で感じないと分からない部分があります。
なるべくわかりやすく色々なアプローチをします。
なるべくわかりやすく文章を訂正しますが、カモフラージュせずに行った方がいい氣がするのでそのまま描き続けていきます。
少しでも私にもあなたの役に立てば幸いです。
今日も有難う御座います。
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