
同調圧力のよる「力」により企業は成り立ってきました。
男の権力性や攻撃(行動)などが強く現れていた社会構造で均衡が保たれていました。しかし、「諸行無常 生成発展=変化し発展していく」時代になっています。
企業よりも個人を大切にして尚且、循環する時代の節目です。
まだ、権力を刀のように振り回していませんか。
明治以降の廃刀令のように、権力の刀の移り変わりをしています。
次なる時代を見ていきましょう。 この記事では、ピラミッド社会の崩壊に伴い次なる目的をしり行動をするための情報提供をします。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
0.ピラミット社会とは?
ピラミットとは、社会の階層化を表現するために使用されることがあります。一般的には、富や権力が少数の人々やグループに集中し、大多数の人々がその下に位置する社会構造を指します。
1.ピラミッド社会の崩壊
社会構造が変化し、階層が崩れることを指します。具体的には、以下のような要因が関与する可能性があります。
①社会的・政治的変革
社会の価値観や政治的な力関係の変化によって、富や権力の分配が変わることがあります。
社会運動や政治運動によって、階層制度が見直され、より平等な社会を目指す動きが起こることがあります。
②経済的変化
経済の変動や景気の衰退によって、富の再分配や経済的格差の縮小が引き起こされることがあります。
経済の崩壊や不況によって、従来の社会階層が揺らぎ、新たな社会秩序が形成される可能性があります。
③技術革新
技術の進歩や産業の変化によって、社会の構造や労働のあり方が変わることがあります。
新たな産業や職種の出現、自動化の進展によって、既存の階層構造が変化し、新たな社会的地位が形成されることがあります。
2.人工知能による資本・利権の変化(新たなピラミッドができている)
日本において、中国とアメリカの利権の狭間で企業が保守的に入りどうしようもなくなっています。
例えるなら、大きなお家を建てたが、改修工事するのも隣の家や環境によりできず放置すれば脆くちょっとした台風で吹き飛ぶような状態です。
そこでピラミッドを新たに構築するため見出したのが、人工知能です。少しでも家を守り活かそうとする動きがでてきました。
ピラミッドに群がる中国とアメリカにより、個人の企業家が右往左往している状態です。
三角形の角がある程度削ぎ落とされきています。
こうしてまた新たな三角形を創ろうとしています。
結局、ピラミット社会になるわけです。
スピリチュアルを利用したピラミットも当然あります。
世間一般が「資本主義」とするなら、「資本主義の幻といスピリチュアル」という違いがあるだけです。
抜け出してたいのであれば、押しも引きもされない「中道」にいれば、台風が来ても全く問題ありません。
まるで、台風の目にいるように無風地帯に身も心も置けばピラミッド社会から目がそれるわけです。
もちろん、個人の自由ですので飽きたら止観し角を磨き、ピラミットを上からみればいつでも曼荼羅の社会があります。
3.ピラミッド社会から曼荼羅社会へ
ここからは、ピラミット社会から曼荼羅社会への移り変わりをご紹介します。
簡単にいえば、自力の元、他力と距離力する社会です。 あくまで、自分が中心であり共鳴共存した人とは、物々交換や仮想通貨などにて交換します。
すれば、資本主義がわからなくなってきます。
自給を目指すが、足りない分は自足するわけです。
食糧やテクノロジー、知識などをはじめ提供するものはあまり問題ありません。
与えようとする人は、気が溢れでるからです。 言葉で会話をしなくても分かるようになります。
角が尖っている人と角をとり磨き続けている人では生きている気力が違うわけです。
4.ピラミッド社会の崩壊がもたらしたもの
では、このピラミッド社会は無駄だったのでしょうか?
そんな事はありません。個人同士が情報を交信するのにとても便利になりました。
それだけでなく、今後はドローン技術で田舎でも空の道ができ物流が潤っていくことでしょう。
ただ、この物流を狙ったピラミッド社会に巻き込む人たちも少なからず現れます。
新たなピラミット社会をつくり支配・管理を試みるわけです。
わたしは、その世界はもう飽きているので全力で米や野菜、はちみつ、ブログを創り角をとり曼荼羅社会へまっしぐらにむかっているのでした。
5.まとめ:【ピラミッド社会の崩壊】祇園精舎の鐘の声!新たな弁証論に乗る?
丸い社会の甘い蜜に群がりまた新たなピラミッド社会ができあがえりつつあります。
「スピリチュアル」も偏りのあるピラミッドの「ツール」として利用されています。
逃げた先に楽園があるように見せて、資本や自由を吸おうとするわけです。
「自分は気づいてしまった」と思って、特別感が生まれるわけです。
しかし、目は横鼻は縦であり、祇園精舎の鐘の声です。
そのなかでアナタはどうやって生きたいでしょうか。
以上最後まで読んでいただきありがとうございます。

このサイトは、人生の生き方・働き方を模索する人のためのWebです。月間1万 pv。運営者は愛知県に住むブロガー・畑仕事・アドバイザー。
Follow
Twitter
コメント